第11回はジブラルタル海峡について。
ちょっとマニアックなネタです。
ジブラルタル海峡ってどこにあるかご存じですか?
イベリア半島とアフリカ大陸の間にある狭い海峡であり、海路では地中海への入り口です。
ここですね。
「海峡」の中では一番有名でしょうか。
これはパッと見、スペインとモロッコの間!
と言いたいところですが、実はこの海峡には複雑な地政学が含まれています。
じつは、この地図のピンクの部分はイギリスとスペインの飛び地なんです!
一般にこの海峡全体をジブラルタル海峡と呼びますが、
スペインの中にちょっとだけあるイギリス領もジブラルタルと呼びます。
イギリスはシェンゲン協定(ヨーロッパ諸国の国境をパスポートなしで通過できる取り決め)に加盟していないので、スペイン人もこの小さなジブラルタルの岬に行くには入国審査を受けなくてはいけません。
モロッコの中にちょっとだけあるスペインはセウタと呼びます。
なぜこんなことになっているのでしょうか??
時は18世紀初頭まで遡ります。
当時行われていたのはスペイン王位継承戦争。フランスのルイ14世がその孫をスペイン王の継承者にしようとしたところ、当時フランスと覇権争いをしていたイギリスが待ったをかけたんですね。
この戦いで最終的に得をしたのはイギリスで、1713年に戦争を終結させる「ユトレヒト条約」によってジブラルタル海峡など海外の土地を獲得しました。
その後300年以上イギリスはこの地を統治しており、スペインは返還を求めていますが実現はしていません。
いわゆる領土問題ですね。
一方のアフリカ大陸にあるスペイン領、セウタは1415年にポルトガル王国が占領し、その後1580年にスペイン・ハプスブルク朝の支配へと移った後、長らくスペインの統治下にあります。
モロッコからスペインに返還を求めているようですが、実現せず。
なので、スペインはイギリスに「ジブラルタルを返せ」とあまり強く言えない立場にありますね。「おまえはどうなんだ!」と言われてしまいます。
もっと昔にさかのぼれば、ゲルマン民族の大移動やウマイヤ朝の支配、フェニキア人の地中海貿易の拠点など、ジブラルタルは常に重要な海峡であったことが分かります。
よって、
地理オタクの私にとってここはあこがれの地。
実は先日、この海峡をフェリーで渡ってきました。
イギリス領からではなく、スペインのアルへシラスという港町からモロッコのタンジェという街まで。
どちらの町もそれほど大きくはありませんが、貿易・物流の拠点であるということは下の写真からも見て取れるでしょう。
私が乗るフェリーにもたくさんのトラックが乗り込んでいました。
フェリーの中はなかなかキレイ。
モロッコまで1時間半の船旅でした。
この海峡を忙しく行き交う船や、アフリカ系のお客さんたちが奏で始めた民族音楽を聴いているとあっという間にアフリカ大陸上陸。
モロッコも素敵な国でしたが、この紹介はまた今度にします。
まとめなくては。
入試に出そうなところは、
・イギリス領ジブラルタルとスペイン領セウタ
・1713年ユトレヒト条約によってジブラルタルはイギリス統治に
ではまた。
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